兵庫県 尼崎市 プラント配管工事は

有限会社濱田プラント工業

〒660-0856 兵庫県尼崎市東向島西之町1番地
日本製鉄(株)関西製鉄所尼崎地区内 協力会総合詰所2F
 

お気軽にお問合せください

06-6428-1506
営業時間
8:00〜17:00

創業者 濱田武夫

会長 濱田武夫

弊社創業者 会長・濱田武夫は令和3年12月4日、行年69歳にて逝去いたしました。生前に賜りましたご厚誼に深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。昨今の状況を鑑み、通夜及び葬儀は近親者のみで執り行われ、訃報のご連絡も法要後と致しました。

令和3年12月10日 代表取締役 佐藤和宏


関係者の皆さま
創業者 濱田武夫が逝去し一年が経ちました。
濱田武夫が生涯現役で磨き上げた技術と確かな仕事を社員一同、受け継ぐ所存でございます。お客様に信頼、ご満足いただける企業であり続けることが、濱田武夫への何よりの追悼になると考えております。
濱田プラント工業に今後とも倍旧のご鞭撻とお力添えを賜りますこと宜しくお願い申し上げます。
令和4年12月4日
代表取締役 佐藤和宏
                   

濱田さんを偲んで

  会長 濱田武夫は令和3年12月4日午後10時50分に、68年にわたる生涯を閉じました。

  濱田さん(敬称略)は今から25年前に濱田プラント工事を創業。その後平成16年に有限会社濱田プラント工業を設立しました。40数年間にわたり社業の発展に尽力し、濱田プラント工業そして日本製鉄㈱関西製鉄所尼崎地区内の重鎮として活躍しました。

自粛しなくてはいけない時期でなければ、酒を呑んで皆様と濱田さんの思い出話に花を咲かせ送ってあげたいのですが、叶わないのでここに書きます。各方面の方々からお見舞いはいけないのだろうか、現在の病状はどうなのか、何度もお声がけをいただきました。旅立ちという形でのお伝えになってしまい大変心苦しいのですが、皆様に濱田さんのことをお伝えしたいと思います。 

 濱田さんとの早すぎる別れに、まだ私自身の心の整理がつかず思うままに筆を運びました。どうか乱文をお許しください。

 訃報に『最後の職人が逝ったな…』と。濱田さんの武勇伝を話し出すと止まらないと皆様が仰るほど波瀾万丈、日活映画に出てくるの俳優のような生き方でした。皆様ご存じと思いますが濱田さんは賭け事を好み宵越しの金は持たない…とんでもない豪遊を好まれるギャンブラーでした。思い切り稼いで思い切り使うのが濱田さんでした。曲がったことを嫌い、筋の通らない事には閃光烈火のごとく怒るので社員たちは怒らないかといつも構えていました。

濱田さんは先月まで自宅で静養していました。自宅では毎日のように酒を吞み、煙草を嗜み、車椅子は絶対に乗らん‼という偏古ぶりで、周囲に頼ることを嫌いました。自分のことは自分ですると、ご自身で風呂にまで入られる意志強固な濱田さんでした。

自宅療養中も機嫌の悪い時にはビールを1日に半ケース吞んだそうです。

酷寒猛暑の現場で鍛え上げられた職人の濱田さんには『何のこれしき‼』と言わんばかりだったのでしょう。病気に対しても『できる限りの治療は全て受ける‼』と副作用も厭わず挑戦し続ける姿に頭が下がりました。

とにかく笑顔が素敵な方で、人が喜ぶ顔を見ることが好きな人でした。

 最近のエピソードでは体験入社した若者に「金あるんか?これやるから取っとけ!」と言って一万円札をポケットに突っ込んでいったなんて話も濱田さんらしくて皆で笑ってしまいました。

パチンコ・競艇・競馬などギャンブルがとにかく好きでした。年齢を感じさせないパワフルな行動力で職人を連れては仕事帰りにパチンコに行っていたこともありました。休憩時間になると、若い職人達とギャンブルの話で盛り上がり喫煙所で楽しそうに話していました。

 濱田さんは職人達に心の底から愛されていました。余談ですが、2019年ホームページ制作時のアンケートでは殆どの社員が尊敬する職人を「濱田武夫」と答えていたほどです。闘病中はコロナの感染を配慮しながらも全ての社員が「会えるものなら是非とも、濱田さんに会いたい」と無骨な職人たちが、足しげく見舞いに通っていました。

辛い治療のはずなのに私が見舞いに行くと笑顔で「佐藤やんのことは、忘れるわけないわ‼」と最期まで私に気を遣って笑ってくれました。私は二度と濱田さんのような職人には出逢えないでしょう…社員達もそう思っていることでしょう。頭の回転も早く仕事の段取り・指示・職人を統率することにおいて常に完璧な人でした。誰もが認め憧れる才能溢れる人でした。

  話が2年前になりますが、濱田さんがどうして病気が発見されたのかを書きたいと思います。

濱田さんは入院される当日まで出勤されていました。突然15時頃事務所に戻ってきて「佐藤やん、大変や! 紙に書いた文字がバラバラに飛んでいきよるねん! 悪いけどちょっと病院に行かせてくれ。」と言ってご自身で車を運転して病院へ行かれました。皆直ぐに良くなるだろうと信じておりました・・・思った以上に病状は悪化していました。それから濱田さんの闘病生活が始まりました。

 その間にも何度か会社に足を運んで新しく入った社員を見ては喜んでいました。この文章の下にも写真が数枚掲載してありますが、今年も写真撮影の為に会社に来られて元気なお姿を見せてくれました。1年持たないと医師に言われたのですが、その時すでに1年半が経過していました。奇跡が起こるんじゃないか・・医者はいろいろ言うけれど濱田さんなら、また元気になってくれるんじゃないか。そんな期待を私は持っていました。

葬儀には各方面からたくさんの花が届けられました。大きな祭壇の両端に溢れんばかりの花に囲まれていました。濱田さんは穏やかでにっこりと微笑まれて早すぎる別れに言葉がありません。自粛中でなければ皆様にも一目お会いしたかったと思います。

私を含め社員の多くが会長 濱田武夫の弟子です。いま、師匠を失うこととなり、まさに痛恨の極みです。

 しかし、哀しんでばかりいては濱田さんにゲキを飛ばされて怒られそうなので、積もる話はたくさんありますが、この辺りで纏めなければと思います。書けば書くほど会いたくてたまらなくなります。

 濱田さんは職人たちの中で生き続けています。隣で「ワシがついとる」と職人たちを力付けてくれていることでしょう。濱田武夫の精神を身体に刻み込み、お客様に一層信頼される仕事を提供できるように全社員が一丸となって精進していきます。

どうか今後とも変わらぬご高配を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

そして、先輩方ご指導ご鞭撻のほど今後ともよろしくお願いいたします。

長文になりましたが、私の思いを書きました。

令和3年12月9日 代表取締役 佐藤和宏

2019年10月濱田会長の元気な姿が忘れられません
皆に愛される濱田会長です
長谷川君の成長を楽しみにしていました
濱田会長が皆好きです
政夫さんとのベストショットです
濱田会長と皆で2021
2021年5月の撮影
浜田会長の復帰を信じて
前の事務所で昼食
2021年5月 苦しい治療の中も現場に来ては笑顔で皆を励ましてくれました
 
闘病中も『現場に行きたい』と最期まで現役の職人でした